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満洲文語単語100選(1/3)

満洲語の単語をコーパス解析から導き出された出現頻度順に100単語をピックアップして、満洲語学習者の参考としたい。意味については基本的には津曲敏郎『満洲語入門20講』と羽田亨『満和辞典』を参照した。 参照URL(コーパス出典) The Art of War — in Manch…

ブルート(キルギス)人砲手とキルギスの英雄叙事詩「マナス」

以前、キルギスの英雄叙事詩「マナス」についての記事を書いた。ここにおいて、私は「マナス」のクライマックスである「北京大遠征」のモチーフは1690年のジューンガルのガルダンと清朝が北京北方300kmのウラーン・ブトン(現在の内モンゴル自治区赤峰市)にお…

人文(歴史)学者ってなにをする人々なのか、考えてみる。

人文学の役割とは何か。 人文学とは理論的統合の学問である。 理論的統合の学問は何を役割として期待されているのか。 それは、自分とは異なる他者との「対話」である。 この「対話」によって学者は相対的に世界を客観視する。 これによって新しい世界観が生…

「満洲国建国歌」と「大学」八条目 (「中庸」番外編)

今回は「満洲国」の国歌をとりあげる。 満洲国とは、現代の中国東北地方に1932年に建国され1945年に崩壊した国家である。満洲国は日本の強い影響下におかれていたものの、建前としては清朝最後の皇帝であった宣統帝、愛新覚羅溥儀を国家元首として据える満洲…

善く生きるとは (「中庸」タイトル〜序)

「中庸」は全三十三章。これを分かったのは南宋の朱子である。この一連の記事では、この三十三章にのっとることとし、必要に応じて、それぞれに対する諸学者の解釈を提示し、読者の理解の助けとする。煩雑をさけるため本文と朱子注には原文を付し、他の学者…

善く生きるとは① (「中庸」概説)

1. 「中庸」とは 「善く生きる」とはなにか。 古今東西分け隔てなく人々の課題としてありつづけたこの問題に対する一つの答えとして、中国では儒教が生まれ、孔子や孟子らによって多くの著作が記された。この教えは、孔子以来、2500年の時を経てなお、常に新…

隆慶和議成立に見るモンゴルの外交と内政の関係

はじめに 今回の講義ではモンゴルと明朝の関係を明朝側の視点から見ていった。しかし、そこには モンゴル側からの視点が不足しているように私には感じられた。やはり当然、当時の明蒙関 係をより正確に見るためにはモンゴル側の外交と内政の関係を見て行く必…

『荘子』をよむ ――荘子の実践論――

なぜ、『荘子』は存在するのだろうか。『荘子』がなぜ、書物として、「ことば」として綴られているのだろうか。荘子を一読して、この点について私は疑問を抱いた。 もし、かりそめに荘周が蝶であり人であることが賽の目のように常に同様に確からしく変わりゆ…

アクス鋳造の「乾隆通宝」にみる中華帝国としての乾隆期清朝

杉山(2008)は中央ユーラシア史の概念が提唱される以前から「ユーラシア」という語を学問的分析の対象として取り上げた地政学者のうちマッキンダーが過去のモンゴル帝国や現代のロシア帝国といった中央ユーラシアの陸上勢力の危険性を指摘していたことを踏ま…

イリ地方に生きたキルギス人たちの叙事詩「マナス」に描かれる中央アジア遊牧民から見た中央ユーラシア

①「マナス」に見る被支配側の視点 多くの場合政治史的に述べられる17世紀以降の東トルキスタン史に対して、視点をまず支配側から「被支配側」に移し9世紀にウイグルを滅ぼした後にキルギス可汗国を建国して以来、東トルキスタンを支配したカラ=キタイやモン…

こののち筑波大学学園祭の歴史を書く人に宛てた草稿②

2. 学園祭実施に向けた学生自治組織の結成 学園祭実施の機運が高まった1974年の段階においては、大学側の非政治化方針とわずか742人という学生の少なさから、他大学では往々にして学園闘争の中心となった学生の代表機関としての自治会的組織を持たず、各学類…

こののち筑波大学学園祭の歴史を書く人に宛てた草稿①

はじめに 1974年最初に筑波大学が入学者を迎えたその年から現在にいたる40有余年の伝統をもつ筑波大学学園祭は、実にそれぞれの時代の世相あるいは「新構想大学」たる筑波大学とこれをとりまく「研究学園都市」という特殊な立地条件を反映した様相を呈してき…

ハザールの西進とブルガールの分裂(ブルガリア史③)

ここまでアヴァールについて語ってきた。 ここで、ブルガールに話を戻す。 アヴァールを西に追ったクプラトは、本拠をシルクロード世界の交易との接続に有利な北コーカサスからアゾフ海沿岸に置き、友好国であるビザンツの支持もと西のアヴァール、東の突厥…

前近代世界システム論とマッキンダー

現在、内陸アジア史研究の新潮流として注目されている議論の一つに「中央ユーラシア」とその周辺地域の関係から一個の世界システムを見出し、それを基調とした「世界史」を構想する「前近代世界システム論」があり、明治以来の西欧偏重の世界史に対する批判…

孔子以前の儒教

以前から何度か言及している秋山好古の名前である「好古」は以下の論語の一節に由来している。 子曰、述而不作、信而好古、竊比於我老彭(述而) この有名な一節は、現代ではその重点を「述而不作、信而好古」の部分に重点を置いて解釈されているが、この一節…

秋山好古「本邦騎兵用法論」をよむ① (序文)

司馬遼太郎が軍事論文としては類を見ない名論文であると絶賛した秋山好古(1897年)「本邦騎兵用法論」を現代語として読めるよう書き換えを施した。今回は、本論のうち序文の現代語訳を示す。 本論は「坂の上の雲」関連資料にてネット上において読むことができ…

騎兵の歴史

紀元前5千年紀に馬(あるいはロバ)が家畜化されてから戦闘に用いられるようになったのは、スポークを用いた軽量な車輪を用いることが可能になった紀元前3千年紀のことである。 歴史に記録されている最古の騎兵の記録は紀元前2600年代の古代初期王朝時代のウル…

ブルガールの起源に関する諸学説と中国文献からのアプローチ

「ブルガールの起源がどこにあるのか」という論争は、近代のブルガリア・ナショナリズムとバルカン半島に対する関心が高まった19世紀から活発になっていった。19世紀の段階における論争はブルガールの起源をテゥルク系、フィン・ウゴル系、スラブ系、トラキ…

ブルガリアの源流とその時代 (ブルガリア史②)

ブルガールの指導者であるクプラトは、アヴァールから独立すると瞬く間に、黒海の北岸、現代のウクライナとコーカサス北部の広い草原に勢力を拡大した。ブルガールの伸長に伴って、かつてのブルガールの支配者であったアヴァールは西進し、現代のハンガリー…

言語論的転回の先へ(イスラーム哲学について)

言語論的転回は、従来の普遍的真実の存在を希求していた哲学に対して重大な挑戦をもたらした。すなわち、真実という外在的なものは存在せず、すべての存在は言語の分節作用によるのである、という言語論的転回の言説は、「われ思うゆえにわれあり」という自…

ロジャー・ベイコンにおける「イスラーム世界」の創造

当時の中世西ヨーロッパでは既に失われていた、イスラーム・スペインのイブン・ルシュド(ヨーロッパでは転訛してアヴェロエス)やイブン・スィーナー(同じくアヴィセンナ)らイスラームの哲学者によって注釈され保存されていた古代ギリシア文化の遺産あるいは…

満洲、ヨーロッパそしてオリエント

初めて文字を用いた人々は紀元前四千年期のウルにすむシュメル人であったとされる。彼らが用いた楔形文字の影響下にあったのかは定かではないが、エジプトでもヒエログリフが発明され、独自の発展を遂げた。もともとは楔形文字もヒエログリフも表意文字であ…

ガルパンのミカがよくいう「風にながされる」とはどういうことなのか(老子をよむ②)

なんとなく考えた。老子の思想は継続高校のミカ風に語るのが、しっくりくると。 【原文書き下し】 老子 第二章 天下皆な美の美たるを知る。これ悪なり。皆な善の善たるを知る。これ不善なり。故に有無相生じ、難易相成り、長短相形し、高下相傾き、音声相和…

スナフキンはなぜ旅をするのか(老子をよむ)

スナフキンはなぜ旅をするんだろう、なんてことを考えながら、ものを書いていたら話が老子に飛んでいってしまい、どうにも老子の解釈になってしまった。 それを流用して、あとは、なんとなく伝説をすこしだけ取り入れて、老子と尹喜の対話形式ということにし…

ブルガリア史①

中華人民共和国の西、カザフスタンは草原の国である。わずか20年前には、ソビエト連邦の一部であったこの国は、現代ではムスリムの多い、独立した共和国となっている。このカザフスタンの北東部を通過するイルティシュ川は源流をモンゴルと中国の国境をなす…

『資本論』を読む①

『資本論』という著作は、あまりに大著であり、さらに難解な表現が連続しているがために、その理解を図ることは大変に難しい。そこで、各位が『資本論』を読む助けとなるように私が捉えるマルクスの問題意識について、簡潔に述べていきたいと考える。無論、…

今、歴史家は何を学び、何をなすべきや――史学徒のかんがえること③――

前々回、前回と歴史叙述のありかたに関する話を歴史哲学の側面から考察してきた。そして最後に紹介した「歴史の物語り」論から導きだされた、ランケ以来の「素朴実証主義」や歴史法則の実在を前提する「方法的一元論」、政治性・倫理性が先行する唯物史観や…

歴史は繰り返さない――史学徒のかんがえること②――

昨日、述べた通り今日は「歴史はくりかえす」というテーゼの検討を通じて、歴史に法則性を求める「歴史科学者」たちの立場を批判し、「歴史家」の果たすべき役割とは何か、という点について考えていく。 「歴史はくりかえす」とは、どのような意味合いを持つ…

歴史の多元性――史学徒のかんがえること①――

我々、学問としての史学を志す者がおよそ心得ねばならぬ、と私が現時点で考えることについて述べる。不十分だと気づいた点については、後日補足したい。 私が歴史を論じるにあって迷妄であると断じていることは二つ、マルクスの唯物史観が主張するような「絶…

「姫」のはなし

とりとめのない話をしたい。「姫」という言葉について考えてみよう。「姫」とは奇妙なもので、王女など貴人の女性を意味としては表していながら、字形をみると「女」と「臣」からなっている。「臣」は昔の字形によれば、「臣下」の「臣」とは形を異にするよ…

草原について

私が住んでいる栗原の部屋から外を見るとずっと草原が広がっている。ただのちょっとした野原を草原と称するなんて変なことをいうな、という向きもあるだろうが、紛れもなく私の眼前にあるのは草原だ。 「草原」という総合科目を受けたことがある(今もあるの…

孫子の戦略論(計篇第一〜謀攻篇第三)

ヨーロッパ語訳の『孫子』と金谷注を底本にして、ちょっと書いてみたものをさらに加筆して、上げてみます。解説めいたものは書かなくてもwikiか何かを少し読めば分かると思うので、割愛しますが、そのうち書くかもしれないし、そこは気分。 CiNii 論文 - 18…