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『資本論』を読む①

資本論』という著作は、あまりに大著であり、さらに難解な表現が連続しているがために、その理解を図ることは大変に難しい。そこで、各位が『資本論』を読む助けとなるように私が捉えるマルクスの問題意識について、簡潔に述べていきたいと考える。無論、私もマルクス主義について、専門的な知識を持っているわけではないから、欠点などがあったら是非指摘してほしい。

※なお、この説明は以前友人にした説明に加筆したものであるので、基本として口語調になっている

 

まずマルクスの資本主義経済の捉え方を記した『資本論』におけるだいたいの考えの基本にあるのは、
①等価交換
剰余価値
③資本の根源的蓄積
④労働の搾取
といったところだ。

 

①等価交換
W'=W” (Wは商品)
服1枚と小麦1kgが交換できるとする。もちろん、服1枚と小麦一粒が交換できるはずがないのは常識としてわかるよね。
だけど、服1枚と小麦1kgなら交換して欲しいって言って、応じてくれそうなひとが多そうだ。

要するにn量の商品W'とm量の商品W”は等価。

 

nW'=mW”

 

 しかし、服と小麦だったら、例えば人によっては服1枚に対して小麦1kgじゃ足りないという人もいるかもしれないし、そもそも小麦は腐る。もちろん、時間的要素も見逃しがたいよね。
 そこで、どんな商品とも交換でき、保存可能な価値を有する商品、一般では金とか銀だね、これが、みんなが交換に用いることができる貨幣としての地位を獲得する。

 

 nW'=xG=mW”

 

つまり、さっきの服と小麦の交換に貨幣を仲介させると以上のような式になる。

ここで、気をつけて欲しいのは交換において貨幣を仲介させようとさせまいと、商品の価値は増大していないんだ。簡単に言えば、交換そのものではお金は増えない。
つまり、交換は常に等価である、これを等価交換という。

 

剰余価値

でも、考えてみると、1kgの小麦からパン屋がパン1kgを作ったとして(単純に考えるために水とか他の原料とかは無視するぞ)、そのパンと小麦は等価に交換できるか?

できないだろう。つまりパン屋が小麦をパンに何かを加えたことによって、小麦よりも価値が大きいパンを作ることができたんだ。

その何かってのが、パン屋の労働、になる。

ようするに小麦(W')とパン(W”)の関係は、パン屋が労働(L)を加えることによって、


W”=W'+L

ということができる。

ここに貨幣Gを介入させると、


W”=G=W'+L

 

この式を変形しよう。

 

W'=G-L

こう変形させると、小麦1kgはパン1kgを買えるお金から労働を引いた分の価値を持っている、という意味になる。

ここでLは貨幣に換算できる商品である、とマルクスはいう。

ここで労働を付加価値、つまり労働の結果得られた価値の増加分としてΔGとする。

つまり、パン1kgは、小麦1kgと等価である貨幣Gにたいして、


W”=G+ΔG


という関係にあることがわかる。

つまり、商品の価値っていうのは交換ではなく労働を商品に加える行為、すなわち生産によってのみ本質的に増大すると考えられる。

要するにだ、労働者は労働を加えることによってΔGを得ることができる、これが自営業とか農家とかの人の「もうけ」になるのだ。

この「もうけ」が全部自分で消費されたら現在の資本主義経済に変化することはなかった、とマルクスはいう。
 つまり、ΔGが蓄積されず、社会全体の富が増大しないならば、社会は永遠にΔGを生産し消費するという関係におさまる。

 

③資本の本源的蓄積

 社会のある段階(マルクスはここにも詳細な説明を行っているが、省略しよう)でふとしたきっかけによりΔGを多く得る手段を人々は発見する。例えば機械の発明とか作物の改良だ。

そうすると「本来的にΔGを効率よく得よう」とする性質を持つ人間は、そちらの新しい生産手段によって生産を行うようになる。

こうするとΔGは増大して、自分たちが消費する必要がない、つまり手元にとっておけるGが発生する。

 

このGが増大して社会に蓄積していく状態を「資本の根源的蓄積」という。

 

④労働の搾取

ここで、生産手段の進歩とそれに伴う「資本の根源的蓄積」と同時に資本主義経済が成立する前に発生する現象として、

 

①生産手段をもたない労働者の増加
②生産手段維持のための投資の必要性

 

がある。

生産手段が向上すると、必要な人手は減るよね。
ロボットができたから工場の工員を削減した、とか、トラクターのおかげで一家族が耕せる土地が増えた、とか。

そうすると生産側にとっては働く必要がない人が生まれる。

でも、そういう人もΔGを得ないと生きていけないよね。
だから、自分の労働力を元手にΔGを得ようと、自分の生産をもっと増やしたくって、労働力が欲しいお金持ちに雇ってもらおうとする。

これが一般の雇用ってやつだ。

まとめると科学技術の進歩によって省力化が進み、自分の生産を拡大=ΔGを増大させたい人、資本家が雇うことが出来る労働力が生まれた、ってことだ。

ここで、ΔGを増大させるためには、資本家が売る商品と、他の同じようなことをする人が売る商品の価値は同じあるいは安くないといけない。

つまり、買ってくれないものを生産してもただ原材料分損なわけでな。そうなると安いものを売らないといけなくなる。

資本家同士が同じように商品を売ろうとするのだから、そこに競争が生まれる。

ここで、競争をするためには商品の価格を下げる必要が出てくる。

商品の価格を下げるためにはどうしたらいいのか、


①生産効率を高める
②商品そのものを改良する

この2つが主にある、と考えられる。

だけど、このうち②ってのは博打だよね、例えばもっと売りたいからチーズの味を変えてしまったら消費者が買わなくなってしまった、なんてなったらアレだし、そもそもこれには物理的な限界がある。

となると残るは①なわけで、
生産効率を上げるには、 


①機械の導入
②労働者の効率を高める


という2つの手段が考えられる。

①はいわゆる設備投資って奴で、これをすることによって資本家はより生産効率を高めることが出来るけど、ΔGを得続けなければ、設備投資に使ったお金を取り返せなくなってしまう。だから、資本家は常に生産を継続しなければならない。

 ②はより、手っ取り早くて、例えば、たくさん作れる労働者にはご褒美を与えて、作れない人には罰を与える、とか、そういった手段で労働者の生産効率を高めることができる。これは、投資がいらない分、資本家は真っ先にこれを行う。
労働者は自分の生存のために労働力を資本家に売っているわけで、同一の賃金のまま(増やすと資本家のもうけがなくなる)、労働者の生産効率を高めた結果、
労働者の産むGは増大するにもかかわらず彼らが得ることができるGは変わらない。
この差分が資本家にとっての利潤ΔGとなり、このΔGは新しい設備投資へと向かう。

このように資本家同士の競争に基づく価格競争は、彼らが競争のために行う投資の元手をとりかえす(取り返さないと彼ら自身が破産する)ため、彼ら自身によっても抜け出すことができない状態に陥り、その結果として労働者は自らの労働力を、その賃金よりも過分に提供しなくてはいけない状態が常態化する。

これが資本主義社会である、とマルクスはいう。

マルクスはこのような状態に陥った原因を探るために歴史の理論、唯物史観を構想し、このような状態を打破するために労働者同士の連帯による革命理論を構想したわけだ。

 

 ここまでが、マルクスの資本主義社会認識なんだが、これらを支えた史的唯物論唯物史観)や革命論については、また後日まとめたいと考えている。