ブルガールの起源に関する諸学説と中国文献からのアプローチ

 「ブルガールの起源がどこにあるのか」という論争は、近代のブルガリアナショナリズムバルカン半島に対する関心が高まった19世紀から活発になっていった。19世紀の段階における論争はブルガールの起源をテゥルク系、フィン・ウゴル系、スラブ系、トラキア系におくなど、まったく民族・言語の異なる学説が主張されていた。しかし、20世紀に入ったのちの論争はトゥルク起源に統一され、その中で議論が進んでいる。

 ここでは、その主要な学説を紹介し、そののち日本における中国文献からみた西域研究の成果と考古学的成果を踏まえた展望を示すこととする。

①フン=ブルガール説

 テゥルク説に学説が統一されて以来、ブルガールの起源に関する学説のうち最初に有力となったのは「フン=ブルガール説」であった。

 ○ズラタルスキ 1918年『中世期のブルガリアの国家の歴史』

黒海北岸の民族の特徴に関する報告を記したプロコピオスとヨルダネスによる年代記の比較検討から、フン族のうちアゾフ海近くに勢力をたもった東フンと453年のアッチラの死後ヨーロッパに退却してきた西フンが合わさった集団をブルガールであると比定。5世紀後半には強勢を保つもやがて、クトリグールとウティグールに分裂したとする。

 ○デチェフ 1926年「ブルガリア民族名の東グルマン起源」

ブルガールの語源を印欧語で「戦う、膨張する」などを意味する「balg」に比定し、「人」を表す「-ari」という接尾辞をあわせて「好戦的な人」という意味にあるとし、これはフン族を示す呼び名である。また『ブルガール汗名録』にみられるアヴィットホルはアッチラに比定され、イルニクはエルナップに比定されるとする。

 

ハンガリーではフン=ブルガール説がさらに発展し、史書のいうところオノグール・ブルガールあるいはオノグントゥール・ブルガールと呼ばれるブルガール族はフン族と西進してきたサラグール族、オノグール族、クトリグール族、ウティグール族などの東オグール諸族の混血であるとする説が唱えられた。

 

②フン=ブルガール説批判

 20世紀中ごろからフン=ブルガール説に対して言語学的な側面などから批判が加えられ、現代では「フン=ブルガール説」は否定されている。

 ○ミヤテフ1938年「チュルク・ブルガールとチュバシュ」

ブルガール語においては、子音zがrにかわるという転換がある。しかし、フン語には「デンギジィップ(Dengizich)」という人名からわかるとおり、この転換が見えない。現在この転換がみられるのは西シベリアにすむチュバシ人だけであり、彼らはヴォルガ・ブルガール族の後裔である。ブルガール自体の起源はフンとは関係はなく、オノグール・ブルガールあるいはオノグントゥール・ブルガールという史料が示すとおり、イルティシ川沿いの地域に居住したオグール族(中国では丁令)であると比定されると主張した。

 ○アルタモノフ1936年『古代ハザール史研究』

チュバシ語、ブルガール語、ハザール語はウラル語族アルタイ語族が分化する以前のウラル・アルタイ祖語(現在ではウラル・アルタイ語族仮説は否定されている)から分化した最古の言語である。これらの民族をテゥルク系遊牧民が征服し同化したのがブルガールの起源であると主張した。

 ○ブルモフ1948年「ブルガールの起源に関する問題について」「ブルガールの歴史の諸問題」

ブルガールに関する記録はフン族がヨーロッパに侵入する354年のローマ年代記にすでに記録されており、さらに5世紀から7世紀にかけての年代記作者もブルガールとフンを別個の種族として認識している。また、北方の異民族をフンと総称することは当時のローマ世界では往々にしてよくあることだった。また、アッチラとアヴィットホルの類似も他の確固たる証拠がなければならない。ブルガール語とフン語の差異から両者に直接の関係はなく、同族とはいいがたい。

また、従来ブルガールが分かれて出でた部族とされるクトリグール・ウティグールについても、6世紀のビザンツ政治家プロコピオスの記述によると両者はブルガールが黒海北岸草原にクトリグール・ウティグールはそれぞれアラル海の東西にいる部族とされ、フンの影響下を離れたブルガールが今度は5世紀後半に強大になったクトリグールに支配されたという事実がこれを誤認させたものである。

さらに、354年のローマ年代記にブルガールは北コーカサスに住む民族として「生じた」としており、オグール族あるいはフン族以前からブルガール人は北コーカサスに住んでいた民族、すなわちサルマート人の後裔であると主張した。

 

③現在におけるブルガール起源に関する説

 ブルモフの諸説のうち、ブルガール=サルマート族は言語学的に否定された。しかし、フン=ブルガール族説の批判に関しては現在も有効である。また、354年の年代記に関してはその記述の信頼性に疑問がもたれ、4世紀前半のランゴバルト王国の記録からブルガールはフン帝国に服属する諸遊牧民族の一つであると考えられる。クトリグール・ウティグール族同族論に関しては、クトリグール=コトラーグ同一説が根強く、いまだ論争が確定していない。ただし、「-gur」とつく民族はブルガール出現の一世紀後ほどに出現しており、ブルガールと同族関係にあるとされるクピ、ドゥチ、チダル、オルホントル、オノグントゥールと並列して述べられているため、これを否定するブルモフの説にたいして同族である主張する学者も多い。

 言語学的には、ブルガール語はチュバシ語と親縁関係にあるテゥルク語であり、考古学的な成果から見ると、ブルガールの墓制は西シベリアカザフスタンの初期鉄器時代のものと共通する特徴をもっており、形質人類学的な知見からもブルガール人は東カザフスタン、東シベリアタイプのモンゴロイドであるとされ、遊牧民族においてしばしば起こる混血が認められながらも、これらの成果を踏まえてブルガールの起源は語られるべきである。

 

④中国史書に見えるブルガール

 中国史書に見える康居の支配下にある阿蘭(アラン)の支配下にある部族として、隋書「鉄勒伝」に以下の通り記述がある。

拂菻東則有恩屈、阿蘭、北褥九離、伏嗢昏等,近二萬人 (東ローマの東にはオグール、アラン、ペチュネグ、キル、ブルガールなど二万人ほど)

『隋書』「鉄勒伝」

  鉄勒は突厥集団に属さなかったテゥルク人の総称と呼ぶべきものであり、北史における「高車」、魏書における「丁令」と同様の存在である。

 ここにあげられるブルガールがどこに居住していたかは不明であるが、ここからわかることとして、オグール族とブルガール族が別の民族として記述されていることである。また、北史「高車」伝にはイルティシ川沿いの草原にすむ高車の部族のうちに、ブルガールの王族ドゥロ氏と比定される「吐盧氏」が見いだされる。

高車之族又有十二姓:一曰泣伏利氏,二曰吐盧氏,三曰乙旃氏,四曰大連氏,五曰窟賀氏,六曰達薄氏,七曰阿侖氏,八曰莫允氏,九曰俟分氏,十曰副伏羅氏,十一曰乞袁氏,十二曰右叔沛氏。

『北史』「高車伝」

 

 以上を踏まえると、考古学的成果と合わせて考えて、ミヤテフが指摘する通りブルガール=イルティシ川起源説が有力となると私は考えるのである。