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こののち筑波大学学園祭の歴史を書く人に宛てた草稿①

  1. はじめに

 1974年最初に筑波大学が入学者を迎えたその年から現在にいたる40有余年の伝統をもつ筑波大学学園祭は、実にそれぞれの時代の世相あるいは「新構想大学」たる筑波大学とこれをとりまく「研究学園都市」という特殊な立地条件を反映した様相を呈してきた。従来の大学教育に対する国家の教育行政による「壮大な実験」のために生まれた筑波大学の歴史はすなわち、この建学の理念にも色濃く反映されている「壮大な実験」の結果に他ならず、2004年の国立大学の法人化以降、大学における網羅的で重厚な学術研究、特に基礎科学といわれる部分の今後が取りざたされるなか、建学の基本計画に「創造的な知的生産を目的とし、諸科学の調和をとれた研究・教育体制のもと、総合的な研究開発に重きをおく」とし、基礎応用を融合した学問的総合を目指して建学された筑波大学の歴史の反省はすなわち、情報通信技術の進歩、特に個人用コンピューターやスマートフォンの普及によってインターネットが大衆の手のもとに開かれたことによって「教養」が持つ権威が失われつつある現代において次第にその影響力が強まる即物的な「実学主義」に対する検証なのである。

 この筑波大学の歴史を語るうえで、大学の教育機関という側面、すなわち「大学と学生」という側面から歴史を見ることは、大学の研究機関という面に目を向け、その成果をはかることと同程度に重要な要素であるということは、大学というものの研究教育の二元性から見て当然である。この「大学と学生」の視点から見た筑波大学の歴史は「大学と学問」という視点から見たそれと、時代、土地、ヒトを同じくするものであり、両者は実に密接な関係を持っている。その「大学と学生」の筑波大学史を記すにあたって学園祭に対して触れずにいることは不可能なほどの重要な要素である。

 無論、このわずか40年あまりの伝統しか持たない筑波大学学園祭を歴史的叙述に対象とすることを適当であるとみなすことは困難である。しかし、10年後、20年後にこの学園祭の歴史を記そうと試みる人の問題意識の一端として、この試論がある意味において史学史的な意義を持つということを期待し、さらにはこの伝統について知ろうと欲する人に対して完全に網羅的ではないにしろ、体系化された叙述をすることで、ある程度の便を与えることができるだろうと思い、これまでに集めた資料をまとめ、これをもとに学園祭の来し方を概観することを試みる。

 

  1. 開学当初の問題と宿舎文化

 1973年に開学式典が開かれ、翌1974年に最初の学生を迎えた筑波大学は実質的に開学したが、当時の筑波山麓地域は未だ開発の手がほとんど入っていない「開拓地」と呼べる状態であったと当時の学生は記録している。この「開拓地」に入った筑波大学の学生は、東京など大都市に住む学生のように大学周辺に下宿することが、大学周辺の受け入れ先の少なさのため困難な状況であり、学生のほとんどは大学が設けた学生宿舎に入居することとなった。大学内においてすら、多くの施設が未完成であった1974年の段階において、大学周辺には娯楽施設どころか身の回り品をそろえるための商業施設すらまともにないという状況であった。この当時の学生をして「工事現場」と言わしめた開学当初の筑波大学の学生にとっての最初の一年を象徴する存在は「学生宿舎」であった。都市部に基盤をもつ他大学には見られない濃密なコミュニティーは「筑波」独自の学生文化を生む素地となった。「生活共同体」である学生宿舎において生まれたこの独自の学生文化は、初代学長三輪知雄の示した筑波大学の「政治運動の禁止」方針とあいまって、当時吹き荒れていた「学園闘争」の嵐は、開学直後の筑波大学とはまるで縁のないものとなっていった。「アジとビラ」に象徴される当時の一般的な大学生活は、筑波大学においては「土と緑」に象徴されたのである。この開拓地生活における学生たちのエネルギーは、政治運動と隔離と周囲における娯楽の欠如から、サークル活動あるいは「祭り」の開催へと向かっていった。当時の学生のサークル加入率は149%であり、現在と比較してもその高水準がうかがえる。そして、この学生たちのエネルギーは1975年の第一回学園祭、翌1976年の第一回宿舎祭、1974年から始まった体育会結成の動きを嚆矢とする文化系、芸術系、体育会の三系と呼ばれるサークル連合の発足、体育会発足と連動して生まれた学生保護者による後援会である紫峰会の発足へと向かっていったのである。これらの現在の筑波大学の学生文化の基礎を築いた宿舎文化は、周辺地域が発展した現在では失われてしまった文化であるが、この文化の象徴たる宿舎祭は、入学間もない一年生をはじめとする学生と地域の住民たちとの交流親睦の機会となり、毎年の年中行事として定着している。

 そして、学生にとって最大の年中行事といえる学園祭は、宿舎文化の最初の結実であり、その開催に至るまでの道のりは当時の学生活動の一典型とみることができる。しかし、この学園祭へ向けた動きは、その当初から「政治性」の問題が生まれる萌芽が存在し、このために開学当初の宿舎文化はしだいに変質を余儀なくされたのである。 (つづく)