12月7日から11日の日記、コロナウイルス感染

12月7日

修士論文提出日初日なので、後輩に万一のことがあれば助けられるよう早めに大学に行った。特段の事もなく、今年はつつがなく終わった。

満洲語のゼミに出席した後、後輩(修論組ではない)が発熱し、車で病院に連れていくため早めに院生室を出た。

木曜日の夕方近くとは言え、まだやっているクリニックも多いからどこかで診てもらえると思っていたが、(発熱者のみ)診療時間外だったり、発熱した患者の受け入れを断られたりと、何軒かあたっているうちに一軒、やや遠いものの見てもらえるクリニックがあったので、そこに行った。

検査の結果、コロナ陽性だと判明し、医者から自分も濃厚接触者であると告げられた。

帰りに、種々の差し入れや検査キットなどを買い、発症に備えることとした。

 

12月8日

この日は大学に行くのを止めた。日中は特段体調に問題なく、なかなか手を付けられなかった風呂場のカビ取りや衣類の整理をした。夕方、本棚の整理に取り掛かろうとした時、ややめまいを感じ、喉に違和感を覚えた。これはまずいと熱を測ったが、この時は平熱であった。きつくなる前に栄養のある食事を多めにとっておこうと鶏肉のソテーを食べた。

夜になり、いよいよ頭痛、倦怠感、全身の痛みに襲われ、発熱。体温38.6℃。痛みのせいで眠れず、この日は痛みに疲れて20分くらい眠り、痛みで目覚めて、というのを幾度となく繰り返した。翌日、病院に行くこととした。

 

12月9日

痛みは引かず、むしろ強まるばかり。関節という関節が痛み、総量で言えば人生で一番強い痛みだったかもしれない。横になっても座っても、立ってもきつく、布団から出ると生まれたての小鹿のような震えに襲われた。しかし、食欲だけは衰えず、ゼリーを2つ、菓子パンを3つ食べた。

朝、病院に行くべく予約の電話を掛けるも、何軒に問い合わせても受け付けてくれない。そもそも小鹿のように震える足で行ける距離などたかが知れているのであきらめた(そもそも階段すら降りられないだろう)。代わりに事前に用意していた検査キットで検査したところ、陽性。だからと言ってどうということもないが、ひとまずアセトアミノフェンの鎮痛剤を飲む。やや効果あり。

夜、薬のおかげか症状はやや収まるも、今度は腹を下した。後輩が差し入れを持ってきてくれた。

 

12月10日

早朝。薬の効果か発熱はなく、むしろ低体温。軽い倦怠感と咳が出始める。喉はそこまで痛くない。この日は学会。オンラインなので聞くことができた。この日、声が思うように出せないことに気づいた。

夕食に芋粥を作った。夜は、眠気はなく、かと言って作業できるだけの元気もないので映画を2本見た。「白い巨塔」と「沈まぬ太陽」、山崎豊子作品である。

 

12月11日

猛烈に喉が痛くて、咳が出る。それ以外はほぼ平常。龍角散のど飴に効果あり。

前2日でたまったゴミなどを片付け、家事をした。溜まっていた雑務処理をした。

親から差し入れあり。バナナがうまい。

気づかぬうちに、味覚を喪失していた。それでもバナナはうまい。なぞだ。