学園祭のはなし③ 筑波大学新聞から見た学園祭

3.5 第一回学園祭に関する補足

 筑波大学新聞の記事をあさっているうちに興味深いものをいくつかみつけた。そのうちの一部ではあるが今日はこれを紹介したい。なお大学新聞のバックナンバーは縮刷版として中央図書館の本学関係資料室に所蔵されている。

 

〇幻の1974年度学園祭

 学園祭実施へ向けての組織化がすすみ、大学側との折衝が続いていた1974年の11月22日発行の筑波大学新聞(第二号)に「学園祭によせて」というコラム欄がある。ここでは当時の学園祭をめぐる状況を打破するための方策として1974年度における試験的な学園祭実施が主張されている。結局はこのコラム欄で主張されていたようなイベントは実施されなかったものの、当時の学園祭実施に向けた輻輳した雰囲気の一つのあらわれとして興味深いものがある。

学園祭によせて

高望みよりもまず小さな実践を

 学園祭についての話が持ち上がってか数か月たったわけだが、ここで学園祭に関しての問題点と今後の見通しについて述べてみよう。

 (中略)日は矢のごとく過ぎ去ったが今日まだ体系だった組織はできていないようである。こういう初歩の段階でつまづいているようでは、いざ実行ということになると、話にならないのではないか。

 (中略)以上のような原因を考えるに、一つには組織の具体案がでていないことによるのではないか。あまりに全員で創っていこうという面が強く打ち出されて、その影響で比較的理屈的になりすぎた。具体案がでているとある一定の方向付けができて議論も容易にはかどろう。でも具体案が出ていないため、組織づくりにおいてこの会議では全然話がまとまらず、それこそ烏合の衆といった感じが強かった。(中略)

 他面、この学園祭をりっぱなものにしようという雰囲気があるが、その熱意はわかるが現状を踏まえたら、そういう見解はちょっと無理なのではないだろうか。特に文科系サークルは活動が活発ではない。また、そのための施設もない。そういう状態を認識したら、とてもではないが他の大学のような大学祭は期待できない。

 おまけに学園祭の実行は来年の新学期などという意見をちらほら耳にする。せっかくやる気になっている人たちにとっては気の長い話だろうと思う。果たしてそれだけの期間は我々にとって耐え得るだろうか。現にやる気のあった人で途中であきらめた人を何人もみかけている。時の流れほど人間を無力化するものはない。時の流れは人間にとって、一方では心に安らぎを与え、人間を大胆にすると同時に他方では人間を臆病にする。

 確かに学園祭をよくやっていこうという気持ちはわかる。でもこういう状況を考慮した場合、そう楽観的に事はうまく運ぶものではない。またそういう前例のない我々にとって、もしやれたとしても多くの障害を伴うものだろう。でもそれはそれでやっていくのも結構だと思う。でもしれそれと平行(ママ)してさしあたり暫定的処置として小規模なものでいいのでやっていく必要があるのではないか。

 それはともかくは今年中に学園祭とはいかなくても全学的になにかの祭りをやろうということである。たとえ粗末なものであっても、我々にとってはささいな自信にもつながるし、しいては今後の運営に関しても参考になるかもしれない。とにかく学生の手でやったということは学生生活にも潤いが出てくるのではなかろうか。また来年の学園祭のためにもよい経験となろう。こういう環境においてのことはよいストレス解消にもつながるかもしれない。よき学園祭を目ざすのもそれなりによりとしても、現実を踏まえるのはそれ以上に大切だといえよう。そういうことを考え合わせると、やはり何としても今年中になにかやらねばという気がする。クラス代表者会議と学生との情報交換がうすれている現在つくづくこういうことを考える。(後略)

 

〇「死んだ学園祭」と紫桐祭

 1975年6月20日発行の筑波大学新聞第5号には「新しい学園祭を 死んだ"桐葉"自己満足の"五月"」と題した記事が掲載されている。そこには1974年に第一期生が入学した筑波大学へ移行するかたちで1978年に閉学した東京教育大学の最後の学園祭「桐葉祭」の様子を取材した記録がある。

 (前略)一方、桐葉祭はと申しますと原罪的立場の後輩として同情と感謝の念を失し難く、かなり言い難きこともありますが、あえていわしてもらう事にします。

 日曜、青天白日のもとに、先に述べた大学と違い、人もまばら、最後の学園祭と噂されるだけに退廃ムードが漂うなかに、模擬店の一斉射撃、特設ステージにおける一夜づけ的フォークバンドの演奏はそのムードを増々助長する。校舎は校舎と言い難く、あたかも病棟の如くである。まさしくガラーンという状態の連続、それをかろうじてやぶるものは微茶店である。確かに歩き疲れをいやすためには充分であるかもしれないが、失望・落胆の念はいやしえないだろう。

 まさしく死んだ大学、死んだ学園祭というを禁じ得ない。結局、私はエリートの群れと病人の集会のみを見るにとどまった。我々はこれらに大学にみられる悪しき学園祭を行うことを断じて許してはならないのだ。(後略)